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コミュニケーション・バイブル

小黒一三

2012.06.06

ケニアのサバンナにホテルを建てた

マガジンハウスの社員だった32歳の時、初めて『BRUTUS』の取材でアフリカに行き、なんてきれいな所なんだと思った。38歳で『ガリバー』という雑誌を作る時に再び訪れ、建築家のエドワード・スズキ氏に、「ここにホテルを作るのにそんなにお金はかからないよ」と言われて、へぇそんなことができるのかと一気に手が届くような気がしてしまった。
ところが、土地はマサイ族のもの。マサイ族という価値観の違う人達に、自分は白人と違うコンセプトのロッジを作ると、真っ当なことを言っても通じない。けれど2人のマサイが自分のことを分かってくれ、マサイの族長に交渉してくれた。マサイ族の会議で夢中になって白人と日本人がどれだけ違うか、我々は搾取する資本家ではないということを説明した。理解してもらえたのか、マサイから30年間の借地権を得た。

それからが大変で、多くの無理難題を突き付けられて、小学校を3つ作り、看護師を定期的に派遣し、ホテルで使う生活水のために300メートル下の川から汲み上げて浄化した水を、丘の上に住むマサイが牛に飲ませたいと言うので、時間制で許容したりした。
ケニアのホテル経営は従業員に騙された歴史。それはもう仕方がない。うちのホテルも、休みの度に肉を持って行かれたり、自動車のパーツを持って行かれたりした。6台の新車のランドクルーザーはいつの間にか中身が全て中古のパーツになっていた。「お前が盗んだんだろう」と言うと、「あなたを信頼しているのに、疑うのか」とぼろぼろ涙を流す。彼らの演技は真に迫っている。都合の悪いことに自分はケニアの人が好きで、尊敬している。大自然の中で暮らし、東京の、モニターと携帯の中に閉ざされた世界と違い、彼らの生活はずっと贅沢。五感どころか八感くらいまである様に思う。その尊敬の気持ちが分かるのか、いつも簡単に騙された。ところがいよいよ経営が危なくなると、組合が自助努力で悪い仲間を排除してくれ、今はちゃんと利益が出るサバンナの珍しいホテルになっている。大して儲からないけれど。

2年前にケニアのサバンナに携帯電話が通じた。野生動物のいる丘の上にサファリコムというアンテナが立ったのだ。すると急にマサイが携帯を持ち始めた。携帯なんか買えるのかと驚いたら、電話会社もやり手で、プリペイド式の携帯電話だという。やはりあぁいう人達を相手にするにはシステムを変えなければだめなのだ。日本と同じに信頼と信頼なんて言っても通用しない。お互いの幸せの為には「分かり合えない」ところから始めることだと今は思っている。あとは教育。マサイの学校を作ったので、3世代くらい経てばやっと、マサイの子ども達と日本の子ども達が同じ価値観で交流できるかも知れない。

狼煙を見る

実家は築地の鮪屋。小さい頃からガキ大将で、正義感が強くずるいことが嫌い。ガキ大将になって遊ぶには、常に面白いことを提案しないと威張らせてもらえない。それが今に繋がっているかも知れない。

面白そうなものには、インディアンの狼煙みたいなものが上がっているのが見える。最近では「孫」。世界の五大長寿村のひとつに、中国の巴馬という桃源郷がある。訪れた時は100歳以上の老人が79人現役で働いていた。巴馬にも地元と協調性のあるリゾートを作ってほしいと言われ、通ううちに、四世代家族が幸せそうで、これからは介護施設に入るより、孫達に迷惑をかけながら老後を迎えるのが新しいのではないかと、おととし、雑誌『孫の力』を創刊した。
もともとは島泰三先生という、アイアイが専門の霊長類学者が、初孫を観察した『孫の力』(中央公論新社、2010年)が、本屋へ行くとベストセラーでもないのになぜかいい場所にあった。聞くと「手に取る人が多い」と言う。確かに、孫がいる人は本屋を回遊しているのに「孫」という字が専門コーナーにない。一方、今は20代の女性写真家が自分の祖父母を被写体にして賞を取り、年寄りの皺でさえ尊敬されるムードがある。そんな所々に狼煙を見た。我が社はお金がないので、大手広告代理店に早速企画書を書いた。「老人の背中だけじゃ未来が見えないが、そこに手をつないだ孫がいると窓が開く」。そして予算がついた。

自分にとっては当たり前に面白いのに、なんでみんなには分からないのだろうという感じはいつもある。なぜアフリカなんかにホテルを作ったんですか?なんて聞かれるけれど、自分にしてみれば、世界で一番凄いところ。動物が人間と一緒に暮らしているんだよ?と言っても分からない。14年前、エコをテーマにした雑誌『ソトコト』を創刊した時も、環境問題やエコは新しい心のおしゃれで、これからのライフスタイルを彩り、新事業が生まれるヒントがここにいっぱいあると言ってもどこも取り合ってくれなかった。エコは当時まだ、企業にとって窮屈な課題だった。『ソトコト』は創刊から14年目の今になって漸く日の目を見た。

いつでも世界初

「いつでも僕は世界初ですからね。だから大変」。1950年生まれの団塊の世代の尻尾。圧倒的に人口の多いところにいて、自分が好きなものを世の中も好きになっていくような、大きな玉が転がっていくような感じが常にあった。新しいものを作ってきた。しかしここ何十年も、ただ編集しただけで、新しいものを誰も作っていない。
かと言って、自分が出すものは決して欲望に直結した情報ではない。3年後や5年後に気が付かれるような、奥ゆかしい美意識で情報を送っている。だからお金にも直結しないが、企業のブランド価値を上げたりすることには役立つから、例えば『ソトコト』はこんな時代でも広告が入ってきた。ソトコトの価値観を最初に気付いてくれたのはヨーロッパのブランドの、本国の担当者だった。

話は戻るが、マサイが携帯を持ち出して、ある日ふと思った。電気はどうしているんだ?すると「何言っているんだ。小黒のところで電気をもらっているんだよ」と言う。裏に行ってみたら充電している。それじゃみんなが携帯を持ちだしたら大変だ、ということで、ホテルの建物を直すと同時に、ここを地熱と風力と太陽光、全ての自然エネルギーで作る電力会社にしようと思い付いた。去年ちょうどNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)がアフリカ大陸で日本の環境技術をアピールするプロジェクトを応募していて、この案が通った。エネルギーの調査はもう始まっている。
また、重機を使わず、土嚢でアフリカ横断道路を作ることも考えている。マサイに袋をあげて土嚢を作った分だけお金を払う形で横断を通せたら面白いなと思っている。

・・・・・

「われわれは間違いなく猿。狂った猿なわけでしょう?飽きっぽくて新しもの好きで、何かをやっている最中にもう飽きちゃう」。偉大なるボス猿、小黒さんは我が道を行く。小黒さんは多分、誰かの真似なんか死んでもしない。

取材・写真 篠田英美

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